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母のお見舞い

母は Ⅱ型糖尿病に 骨粗しょう症 があり心臓の期外収縮もあって 事情があって神奈川県内の施設に入院している
きのうは電車とバスを乗り継いで2週間ぶりに 入院先の彼女に会いにいった

「あら 来てくれたの?」
品のよい柔和な顔つきは変わらないけど
彼女の自慢だった清楚な顔や姿見の端麗さはだいぶ失せてしまった

あんなに毎日 ジョニの幼いころから彼女は毎日欠かさず顔のマッサージや肌のケアをしていたのに
aging とはなんとまあ残酷なんだろう

20代のころ彼女は通勤していた私鉄近郊線の『クイーン』とまで謳われていたほど
東映のニューフェース候補としてカメラテストまで受けていた

急にAF 不整脈を頻発させた母

わたしと母は別居している

近所の内科開業医から わたしの職場に直電を頂いたのは今年2016年の1月
「あ 先生ですか わたしはお母さまのかかりつけ医のK本です きょうの朝 突然 お母さまが胸が苦しい とうちのクリニックにお見えになって・・・AFです 血栓が飛ばないよう薬を出しました」

で 足腰も弱っているし 大事だいじ をとってわたしの知り合いの方が施設長をしている、この病院に入院させてもらったのだ

隔週の日曜日だけ 神奈川県内のクリニック勤務にシフトを変えてもらい その昼の休憩時間を利用して駅前からバスに飛び乗り 母に会いに行く

それで幼少のときに地方に預けられたわたしに毎週 母が会いに来てくれたことを思い出した


彼女が20代で結核性肋膜炎にり患して入院加療しているあいだ
2歳半だったジョニは数か月単位で 親類縁者の間を転々と預けられていた


毎月2-3回 母は着飾って電車を乗り継いで埼玉の山奥まで わたしに会いにきた

その日には 「きょうはジョニちゃんのママが会いに来るから」

と その家の女性が朝早くから わたしに 「顔を洗え よそ行きの服を着て 髪を切るからここに座れ」 など言われた

母も 訪ねていく場所が田舎で列車の本数が少ない地域だったので
「はやくあなたに会いたくて駅に停車していた貨物列車の運転士に頼み込み 目的地の駅まで乗せてもらったことがあるのよ」

と話していた

わたしが青白い、ひょろひょろした体格だったので
預けた先の家に 母は 「毎日 うちの子に牛乳を飲ませてくれ」
 と余分な金銭を渡していたらしいが

わたしが いつも「牛乳は飲んだことがないょ」 
と話すのを聞いて 彼女はずいぶん失望したらしい

収入の少ない兼業農家では まぁネコババは当然のことだったろう

でも食事ではだいぶ優遇されていたらしい

預けられた家の実の子よりも わたしの三度の食事のおかずが すこし豪華だったようだ

いつもわたしは自分だけの特別なメニューを気にして
そのおかずを 家の子に 「食べなよ」 と勧めていたという


まだ肌寒い春先に 地肌むきだしの家の玄関まえの土盛りの階段を下りながら母を待つ

わたしのまえに降り立ち 餌をつつく土鳩
その首回り その光沢のある、紫や緑色の羽が輝いて なにか不思議な気持ちになったことを
いまだに鮮明に覚えている

「鳩が ぽっぽー ぽっぽー 鳴いてるね」

と わたしはよく母に話していたらしい


母は3-4時間 わたしを抱きしめ 膝のうえに乗せながら話をしてから 東京の入院先に帰っていった

毎回 母とずっと居たかったわたしは
彼女の手をギュ っと握ったまま離さないでいたが

「さあ ジョニちゃん お昼寝の時間だから」と家人に寝かされる

「ぼくが寝ている間に帰っちゃうんでしょ?」

「そんなことないわよ あなたが起きるまでずっと待っているから」
わたしの頭をいいこ いいこ しながら わたしの目をのぞき込みながら優しく話す母

(たぶん 寝ちゃうと ママはいつも いなくなっちゃうんだよね)
と半分 判っていながら 寝てしまうジョニ


はっ と目覚めて 世話になっている女性に
「ママは?」
と聞くといつも

「もう帰っちゃったよ」
と言われた

急いで外に走り出るジョニ
春の陽は はや傾いて夕闇が迫っていた

また置いてかれちゃったよ~
とても悲しかった

そんなことをつらつら思い出しながらバスに揺られること10分あまり

わたしは太平洋を見渡せる、ミカン畑の広がる丘陵地帯のバス停に降り立つのだ
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No title

お疲れ様でございます。

代わりのない 御母様との時間、
←(先に親を見送った者から一言添えさせて頂きますと)
どうぞ、寸分の後悔も御座いません様に
何をおいても最優先なさいます様に。

学も無く、美貌も品性も持ち合わせず 健康だけで
両親の加護のもとのほほんと育った幼少でしたが
十歳で父が腎臓を患い透析導入 身体障害者1級で退職
昼夜働く母に代わり 米の研ぎ方しか習ってない子供に
家事の一切が懸かって 愚痴ばかりの人生でした。
『何故私だけ?弟は男だから家事しなくていいの?』と
中学になって塾ブームになってもクラスでトップの成績
の子に私だけが帰宅組 彼女に『何故塾行かないの』
と尋ねると、『塾に行って帰る時間に単語覚えれるし、兄に聞けばいいの』と。
上の兄弟がいるのが羨ましかったっけ←アドバイザーが
欲しかった←誰も教てくれないのに文句ばかりだから笑
『今日もまあまあか』に『美味しいね!』と姉に気を
使う弟の言葉にハッ!として どうせ作るなら
より美味しくと勉強と創意工夫。
でも中学で学び始める英語より夕飯のメニューが関心事
学生時代はチラッとも勉強せず 解放された❗と思った
社会人になってからの方が実質勉強してる、、、かな⁉

宜しければ 幼少時代から医学部卒業迄に至る経過
影響力を受けた人物やコトバが有りましたら
拝聴したいものです。←御時間許しましたらば。

末筆ではございますが、(遠き空のしたより)
お見舞い申し上げます。
(お節介は承知の上で)御子様との面会も叶いますれば。
、、、と想うのは歳のせいでしょう、キット。
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